
冬木立―。
言葉を見るだけで、静かな風景が思い浮かぶ日本語ですよね。
先日、長野県の白樺湖を訪れました。冬の空気をまとった白樺の並木がとても美しく、「冬木立」という言葉が頭に浮かんできました。葉を落とし、幹と枝だけになった木々が、雪の中で凛と立つ姿。その削ぎ落とされた佇まいは、不思議と整って見えます。

冬木立には、静けさと同時に、どこかもの悲しさも漂っているところが、私が心惹かれる理由なのかも。
新緑が生い茂る夏の木と比べると華やかさはないものの、その分、枝や幹の表情がはっきりと現れ、木そのものの美しさが際立つ―。削ぎ落とされたものが持つ美しさとでもいうのでしょうか。華やかさを手放したあとに残る輪郭や静けさが、かえって印象を深めているように感じるんですよね。
冬木立の静けさとリンクする、暮らしの中にある木の存在

余分なものを足さなくても、そこに立っているだけで成立している—。そんな佇まいは、暮らしの中で選ぶものの基準にも、なんとなく重なる部分がある気がします。家具を見ていても、「主張しすぎないのに、なぜか印象に残る」ものってありますよね。木目や質感に奥行きがあって、時間の流れを受け止める包容力みたいなものが感じられたりして。
そうした家具に多く使われている木のひとつが、オークです。はっきりとした木目と力強さがありながら、使い込むほどに表情が落ち着き、空間に静かに馴染んでいきます。ダイニングテーブルやチェアに選ばれることが多いのも、日常の中で自然の頼もしさを感じさせてくれるからかもしれません。

似た性質を持つナラ材も、時間とともに深みが増していく樹種です。まっすぐで素直な木目は、空間を整えすぎず自然体のまま支えてくれる印象があります。家族の暮らしにナチュラルに寄り添ってくれる、そんなイメージがわいてきます。

一方で、ウォールナットは、より大人びた雰囲気をまとった樹種です。
深い色合いと落ち着いた木肌が光をやわらかく抑え、空間に静かな陰影をもたらします。ソファフレームやキャビネットに取り入れると、冬の穏やかな時間にもよくなじむ、余白を感じさせる佇まいが生まれます。

そうした佇まいに惹かれるのは、暮らしの中でも静かに時間を重ねていけるものを、私たちが無意識に選び取っているからなのかもしれません。
木製家具と時間を重ねる暮らし
林業の世界では、寒伐(かんばつ)といって冬に木を伐ることがあります。冬に伐られた木は水分が少なく、狂いが出にくいため、無垢材家具に適しているといわれています。
そんな話を思い出しながら森を歩いていると、冬の木々の静けさも、ただ眠っているのではないように見えてきました。

木が冬に葉を落とすのは、寒さや乾燥から身を守るため。外からは止まって見えても、内側では次の季節に向けた準備が進んでいます。家具や床材として暮らしの中にある木も、かつてはこうして季節を越えてきたんだな~とぼんやり考えながら、冬の長野を後にしました。

小さな冬の旅を終えて家に帰ったとき、部屋の中にある家具をみてふと、長野の冬木立とこの部屋の中にある木の存在がどこかでつながっているように感じられました。
今、マグカップを置いているこのダイニングテーブルも、いくつもの季節を越えてきたんだなと思うと、いつもと見え方が違ってきてより愛しさが増してきます。そろそろ大掃除の季節だし、テーブルもオイルを塗ってケアしてあげなきゃな、とか考えながら、しばらく旅の余韻に浸ったのでした。























































































