すっかり私たちの生活に浸透している“タイパ”という言葉。説明するまでもなく、「時間あたりの効率の良さや効果の大きさ」を指すタイムパフォーマンスのことですが、自分も本当にタイパに侵され始めたな~と感じています。
例えば、CMを見たくないな~と思ってわざわざCMを飛ばせる録画でテレビ番組を見たり、映画のオープニングをスキップしたり。U-NEXT、Netflix、ディズニープラスといった動画配信アプリがあまりにも便利すぎて、映画館にわざわざ行かなくてもいいかな~とか。タイパ重視の生活になってきているのを実感しています。
そんなタイパとは対照的に「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉もよく聞かれるようになりました。みなさんはこの言葉、ご存知ですか?
ネガティブ・ケイパビリティ=答えの出ない事態に耐える力
ネガティブ・ケイパビリティとは、2017年、詩人のジョン・キーツが残した概念で、「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」と訳されます。私がその言葉を知ったのは、精神科医でもあり小説家でもある帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)さんの『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力(朝日選書)』がきっかけでした。

この本には「ネガティブ・ケイパビリティは、拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力」だと書かれています。そして「その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すのです」(P77 「分かりたがる脳」)という続きの一節を読んで、ため息をつきました。私に必要なのはこれだと。
私ごとで恐縮ですが、自分はけっこうせっかちで答えがわからないと不安で焦ってしまう傾向があります。問題を早く手放して、解放されたいという気持ちが大きいんですね。これは、効率よく時間内に問題を解くことがよいことで問題を早急に解決する力を求められる日本の教育環境にも責任の一端がある!と他責にしてみたくなったりもするのですが(笑)
この「効率よく答えが欲しい」というのは、先に挙げたタイパと似ているなと考えていたとき、ふとアスナロの木のことを思い出しました。
アスナロに見たネガティブ・ケイパビリティ
以前、木曽五木・アスナロの名前の由来についての記事で、アスナロは「明日はヒノキになろう」が転じて「アスナロ」になったという俗説を紹介しました。
木目が美しく、香りも爽やかで、抗菌効果もある、非の打ちどころのない秀才が「ヒノキ」。そんなヒノキに見た目がそっくりなのがアスナロです。でもヒノキにはなれない。そんなアスナロが「明日はヒノキになろう」と努力しているという前向きな意味合いは、目標をもつことの大切さや希望の象徴として捉えられています。
ヒノキやスギが50年ほどで成長するのに対し、アスナロの成長はその2倍、およそ100年かかるといわれています。成長が遅くとも「明日ヒノキになろう」と一生懸命に上を見上げているような気がして、けなげだな~という気持ちがこみあげてきます。
また、日のあたらない厳しい環境でも芽を出し生きながらえることができる、というのもなんだか人生を表しているようで、昔の人も親近感をおぼえていたのかもしれませんね。
とはいえ、アスナロ自身はそんなこと考えてもいないんでしょうけど(笑)。
むしろ、「ヒノキになろうがなれまいが、自分のペースで育つ」という強い意志が、まっすぐに成長する姿から感じられるような気もします。
興味をもってじっくり待ってみる
アスナロを見ていると、今日や明日ですぐに答えが出なくても、今の状態のまま、じっくりとまっすぐ進んでいけばいいのかなと思えてきます。名前の由来だけでなく、まっすぐに立つ姿からも、人は何かを受け取るのかもしれませんね。
タイパ重視の生活を少し見直し、すぐに答えが出ない日々の中にも耐えていくことで、きっと何かが好転していく——そんな希望をもち続けることが大切なんだなと思いました。
帚木さんの『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』は、おもしろいのでぜひ読んでみてほしい1冊。

精神科の医師は占いや悪魔退治をする祈祷師と同じとか、シェイクスピアや紫式部、鬼平犯科帳などを取り上げて、ネガティブ・ケイパビリティを解説してくれているので、気軽に楽しめると思いますよ。
